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パリのアメリカ人

こんにちは!
パリ生活社、パリスタッフNです

金曜日にシャトレ劇場で行われたセザール賞(フランス版のアカデミー賞)の授賞式。
今年のプレジデント(審査委員長)は、あのジョディ・フォスターでした。
アメリカ人独特の訛りが全くない、美しいフランス語にビックリ! w(゚0゚*)w
(高校時代はロスのリセ・フランセに通っていたそうで、納得~)

しかし、なぜアメリカ人のジョディ・フォスターがわざわざプレジデント?と思ったら、
現在パリ滞在中で、(今年の監督賞を受賞した)ロマン・ポランスキー監督の新作を撮影中とのこと。
運がよければ、ロケ現場に遭遇するかも?(←ミーハー…)

さてさて、パリに住むアメリカ人…ときいて、皆さんなら誰を思い浮かべますか?

最近なら、映画監督のソフィア・コッポラ…?

もっとずーっと遡ると、作家のアーネスト・ヘミングウェイが有名ですね。

ヘミングウェイがパリに住んでいたのは、1921年の暮れから1928年の春。
1920年代のパリは、世界中から芸術家が集まる、まさに世界の芸術・文化の中心でした。

パリに来た当時のヘミングウェイは、まだ本を一冊も出していない22歳の若者。
最初に借りたアパートは、5区のカルディナル・ルモワーヌ通り74番地の3階で、
プレートには1922年1月から1923年8月までここで(最初の)妻ハドリーと暮らした、とあります。


20110228-1_512.jpg


もうひとつ、仕事場として借りていたといわれるのが、デカルト通り39番地の屋根裏部屋。
(詩人ポール・ヴェルレーヌが亡くなった建物。隣の37番地には作家の辻邦生さんが住んでいました)

いずれも、コントレスカルプ広場のすぐそばです。
噴水の周りをカフェが取り囲み、ソルボンヌの学生たちで夜遅くまで賑わう広場。
若き日のヘミングウェイは、この広場を行き来しながら、作品の構想を練っていたのでしょう、
ヘミングウェイを一躍有名にした「日はまた昇る」(1926年出版)には、この界隈が頻繁に登場します。

そして、ヘミングウェイの死後に出版された短編集「移動祝祭日」(原題:A moveable feast) は、
ヘミングウェイが当時を回想して、自殺の前年の1960年に書き上げたもの。

この本の序文に記されている、1950年に友人に語った言葉、

 “If you are lucky enough to have lived in Paris as a young man,
  then wherever you go for the rest of your life, it stays with you,
  for Paris is a moveable feast.”

 (もし幸運にも、若い頃をパリで暮らすことができたなら、
  その後の人生をどこで過ごそうとも、パリはついてくる。なぜならパリは移動祝祭日だからだ。)

ヘミングウェイの中には、パリを離れてからもずっと「パリ」があり、死ぬまでにどうしても
ここで過ごした日々を書き残しておかなければならないと思ったのかもしれません。


20110228-2_512.jpg


パリ生活社には、部屋からこの広場が見渡せるアパートがあります。
その名も、コントレスカルプ。 ( ̄∀ ̄)b
この広場を眺めながら、ヘミングウェイのいた頃に思いを馳せてみてはいかがでしょう。

もうひとつ、ムフタールのアパートも、(部屋からは見えませんが)この広場に面した建物に入っています。



※ちなみに、Contrescarpeの読み方ですが、「コントルスカルプ」では?とのご指摘もありますが、
 escarpe(エスカルプ=堀の内岸壁)という単語に、接頭語contre(コントル)がついて、堀の外岸壁を表す
 contrescarpe、(コントル・エスカルプ → コントレスカルプ)からきており、パリ生活社でもこの表記を用いています。


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